アレクサンドラ・イオシフォヴナ
アレクサンドラ・イオシフォヴナ Александра Иосифовна | |
---|---|
アレクサンドラ・イオシフォヴナ(ヴィンターハルター画) | |
出生 | 1830年7月8日 ザクセン=アルテンブルク公国、アルテンブルク |
死去 | (1911-07-06) 1911年7月6日(80歳没) ロシア帝国、サンクトペテルブルク |
埋葬 | ロシア帝国、サンクトペテルブルク、ヴェリコクニャジェスカヤ・ウシパリニツァ(大公霊廟) |
配偶者 | コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公 |
子女 | ニコライ オリガ ヴェラ コンスタンチン ドミトリー ヴャチェスラフ |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフ |
母親 | アマーリエ・フォン・ヴュルテンベルク |
テンプレートを表示 |
アレクサンドラ・イオシフォヴナ(ヨシフォヴナとも、ロシア語: Александра Иосифовна, ラテン文字転写: Alexandra Iosifovna, 1830年7月8日 - 1911年7月6日)は、ロシアの皇族、ロシア大公妃。ニコライ1世の次男コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公の妻。結婚前の名前は、アレクサンドラ・フリーデリケ・ヘンリエッテ・フォン・ザクセン=アルテンブルク(Alexandra Friederike Henriette von Sachsen-Altenburg)。
人物
ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフとその妃であるアマーリエ・フォン・ヴュルテンベルクの第5子として、アルテンブルク(現在のテューリンゲン州、アルテンブルガー・ラント郡)で生まれた。長姉アレクサンドリーネ・マリーはハノーファー王ゲオルク5世の妃。コンスタンティンの姉、ヴュルテンベルク王妃オリガ・ニコラエヴナの仲介により、シュトゥットガルトでコンスタンチンと見合いをし、婚約した。
1848年9月にコンスタンチンと結婚。6子の母となった。
- ニコライ(1850年 - 1918年)
- オリガ(1851年 - 1926年) - ギリシア王ゲオルギオス1世と結婚
- ヴェラ(1854年 - 1912年) - ヴュルテンベルク公オイゲンと結婚
- コンスタンチン(1858年 - 1915年)
- ドミトリー(1860年 - 1919年)
- ヴャチェスラフ(1862年 - 1879年)
ウィキメディア・コモンズには、アレクサンドラ・イオシフォヴナに関連するカテゴリがあります。
| |
---|---|
第1世代 | |
第2世代 |
|
第3世代 |
|
第4世代 |
|
第5世代 |
|
第6世代 |
|
第7世代 | |
第8世代 |
|
|